カクカク日記

18歳違いの姉との同居で、穏やかそうに見えてそうではない日々を綴っています。

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休憩室

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姉は一つの食べ物が気に入ると何週間か、長い時は何ヶ月も同じ物を食べ続ける。

 

もう10年ほど前になるが直ぐ上の姉(三女 以下:M姉とする)が入院していた時、私と姉と二女である姉と3人で見舞いに行ったことがあった。

 

私は、このM姉と一番仲が良かった。

 

膀胱癌だった。

 

一応手術はしたものの、安心出来ない状況だった。 

 

病室に入って行くと、私の後ろに更に二人の姉の姿があるのに気づいて、M姉は驚き、そして喜んだ。

元々、小柄で今度の病気で、更に小さくなったように見えるM姉は、急に元気になったかのように起き上がるとベッドから降りようとした。

 

休憩室に行こうと言う。

 

私達は

“ここでいいよ、寝てて!”   と皆んなで言って止めたが、M姉は頑として聞かず、結局、移動することになった。

 

休憩室には円形の大きめのテーブルがあって、私達はそこの椅子に腰掛けた。

和菓子を持ってきていたので取り出し、そこに設置してある自販機でお茶を買った。

 

こんな風に四姉妹が揃って顔を合わせるのは数十年ぶりだった。

 

 

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姉妹

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兄弟、姉妹といっても必ずしも分かり合えるものでもないし、

太い絆で結ばれているわけでもないよ。

 

今まで生きてきた中で、何回かこんな言葉は聞いてきたことがある。

 

このことを、私はずっと 心の中では、いや、そんなことはないと否定してきた。

 

そう見えて根底の深いところでは

他人とは違う血の繋がった者だけにしかない強固な愛のようなものが

絶対にあるはずだと信じていた。

 

 

姉と

人生の終盤になってこうしてひとつ屋根の下で暮らすことになって

より深く姉のことを私なりに知るようになって思うことは、

肉親への愛なんて、この人には初めから存在しなかったんじゃないかと感じてしまうことだ。

 

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いったい何が‥好き?


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姉は食べ物の好き嫌いが驚くほど多い。

 

肉は一切食べない。もちろん、それらの加工食品のハム、ソーセージ等もだ。

 

魚介類も嫌いだと言う。

 

同居し始めた10日ほどは、引っ越しの片付けが大変だということで、私が姉達の分も作っていたが

その時出したアジフライを、揚げたてだから美味しいと思ったのか

その後、数回は自分でも作ってみたようだ。

 

義兄は肉を食べたくなったら自分で作るという。

 

一週間の献立はほぼ決まっていて

月曜日は蕎麦、火曜日は天ぷら、というように毎週同じメニューらしい。

 

お寿司も嫌いで、だからお刺身もダメだ。

 

野菜も嫌いで、葉物は殆どダメらしい。

 

芋類も嫌いで、唯一じゃが芋だけO K

 

いったい何食べてるの? と不思議だが

私が作るほうれん草の白和えとか、魚介類入りのグラタンとかは喜んで食べる。 だからよくわからない。

 

でも私と顔を合わすたびに、”もうずっと何も食べていない”と言う。

 

姉は太ってもいないが、痩せてもいない。 普通だ。

 

 

出来るだけ、姉が食べられそうなものを作ったりした時は

2階に持っていく様にしている。

 

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子供達

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母は19歳で結婚し、6人の子供を産んだ。

20歳で姉、そして、最後に38歳で私を産んだ。

結婚生活は、最初の7〜8年は順調だった様だが、その後は父の女性問題でかなり苦しんだ。

 

そんな母を姉は一番、非難していた。

 

さっさと別れず、それどころか子供ばかり産んでということらしかった。

 

私が生まれることを知った時は、本当に恥ずかしかったと言った。

 

 

母は大正生まれだ。

結婚した頃は避妊方法だってろくになかったろうし、ましてあの時代、働いたこともない母が何人もの子供を連れて離婚の決意をするのは容易ではなかったと思う。

 

姉は浮気をしていた父のことはあまり悪く言わない。

それより父にどんなに可愛がられていたかをよく話す。

幼稚園の入園式の写真を見せてくれながら、この時、当時珍しかった革靴や襟元に白いレースの付いたビロードの服を父が買ってきてくれたこととか、勉強で良い点をとるとどんなに父が褒めてくれたかなどだ。

 

私は10代の頃は、こんな話を聞くたびになんとも言えない気持ちになった。

姉と違い私は父との関わりはほとんどない。

たまに帰ってくると、数時間いてまた直ぐいなくなるという感じで話すらあまりしたことがなかった。

しかし、年月が経つにつれて

いつも難しい顔をしている父を見ると、この人が外で女性と? と思い嫌悪感すら覚えるようになった。

 

 

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話したい

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『どうなの、腰は?』と、2階から降りてきた姉が聞く。

 

「うん、もうだいぶいい」と私が答えると、

 

『良かったわねえ』と言いながら、直ぐに

 

『私もね○○の時○○して』と話が始まる。

 

それは自分も坐骨神経痛を経験したとかの話ではなく

 

数年前にちょっと腰が痛かった時があったのよ、とかいうものだが

 

その話は延々と続き、私はキッチンのテーブルを拭いていた手を止めてジッと聞くことになる。

 

 

そんな時(もうそんな話しどうでもいいよ)と思っている意地悪?な自分がいる。

 

それを顔に出さないように「へえ、」とか「あらら」、とか相槌をうつ。

 

 

姉の癖というか、傾向というか、どんな話題でも全部、自分の話にもっていこうとするところがある。

 

そして、話し出すと中々止まらない。

 

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動き続ける

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痛みの長期化に不安になり、やはり病院に行こう…と決心しかけた頃

 

なんだか足の痺れが弱くなっているような気がした。

 

そして今まで15分と座っていられなかったのが少しずつ延びてきた。

 

私は猫を飼っていて、朝一番にすることは、猫砂の掃除なのだが

屈んでするので腰に負担がかかりすぎているのか

これが最も辛かった。

 

しかしそれも明らかに軽減しているのがわかった。

 

 あのしつこい痛みが、薄れていっているのだ!

 

運動したからなのか、出来るだけ腰に負担がかからないように、注意して生活してきたからなのか

いい結果をもたらしてくれた原因は、はっきりはわからないが

 

突然起こった、私のこの身体の異変は、約3週間と5日ほどでほぼ消えた。

 

 

今も、足の痺れを感じるときがたまにあるが、その度にドキッとする。

 

 

1日だって今より若くはならないこの身体だが

 

老いを少しは遅らせることが出来そうな気がして

 

今日も、こまめに動いて掃除して、料理して、買い物に行って、散歩して、運動する。

 

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どうしよう

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その日は娘の車で数店舗を見て回った。

 

しかし

これは良さそうと思って座ってみると、肘掛けの部分が少し低すぎたり、リクライニングの調整が手元で出来なかったり、すぐにクッションの部分がヘタリそうだったり、中々、希望のものがなかった。

 

そのうち見て回るのもくたびれてきて、痛みも強くなってきた気がした。

 

そんな私を見て娘も もう帰る? と気遣ってくれたが

ここでなかったら諦めようと最後に行った店で

希望にほぼ近い椅子が、やっと見つかった。

 

それを車に積んで、部屋の中まで娘が運んでくれた。

 

 

その座椅子はいざ使ってみると、やはり大満足とはいかなかったが、今まで使用していたものより快適だった。

 

少し長い時間座っていられるようになったのだ。 また、360度回転するので向きを変えることが簡単にでき、そのぶん立ち上がるのも楽になった。

 

 しかし、痛みは相変わらずだった。

朝、目が覚めて起き上がった途端から、重だるいあの嫌な痛みが始まるので、起床する時間もどんどん遅くなっていった。

 

散歩の時間も増やし、ストレッチも軽いスクワットもやった。

こんなに運動したのは初めてだった。

 

ネットで坐骨神経痛を検索した時、だいたい2〜3週間ほどで痛みが軽減する人が多いとあった。

 

私はこの状態になって、もうすぐ3週間目も終わろうとしていた。

 

やはり、病院に行こうかな…と思った。

 

 

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